マースレニコフとチャーガ

◆医師・マースレニコフ(1884~1966年)

1884年ロシア生まれ。
1908年モスクワ大学医学部卒業後、アレクサンドルの病院に赴任。

赴任当初の病院は、田舎の小さな病院でした。

 

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◆マースレニコフとチャーガとの出会い

狩猟を趣味とするマースレニコフは、ある時、狩猟の途中で立ち寄った小屋で、森番からチャーガのお茶をごちそうになります。

森番との雑談の中で、チャーガは当地で昔から体に良いと伝えられていることを聞き、とても興味を持つようになりました。

 

◆マースレニコフはチャーガに仮説を立てた

ある時、マースレニコフはある事実に気が付きます。彼の勤務する病院に来る農民患者には癌が滅多に見られないことを。

それに病人も少ないというのはどういうわけなのか!?
もしかすると、チャーガが作用しているのだろうか? 」

マースレニコフの頭の中で、その二つが結び付きました。

 

 

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◆マースレニコフが、チャーガ研究に乗り出す

この気付きをきっかけに、マースニレコフは調査を始めます。

チャーガと、チャーガ摂取住民の健康が保持されていることについての相関関係を実証するためです。

これが、マースニレコフの長きにわたる研究への入り口でした。

◆マースレニコフは チャーガへ確信をもつ

マースニレコフは、チャーガを摂取している住民の健康の秘密について、ある確信材料を突き止めました。

辺り一帯の農民たちはお茶代を節約するために、茶ではなくて『チャーガ』を煎じて飲んでいたのです。

それは『白樺の茸』とも言われている『白樺の癌』。

古い白樺の木によくある表面が黒くて、内側が暗褐色をしている妙な格好の瘤のようなもの、これが自生のチャーガのことなのです。

ロシアの百姓は、自分たちが気付かないうちに『チャーガ』でもって何世紀もの間、癌から救われていたのではないかと、マースニレコフは推測しました。
しかし、推測の域を出ないことは、どこまで行っても推測であり、医療に役立てるには至り
ません。

そこで、マースニレコフはもっと詳しく調べなければと思い立ち、自分自身がチャ-ガを飲み始めるのです。

 

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チャーガの断面

◆ マースレニコフの実験内容とその経過

彼は以下の経過をたどり実験を重ねました。

✔ 自分が試し、副作用がないことを確かめられたら
✔ 徐々に患者に投与していく
✔ 自家製煎じチャーガ茶を飲んでいる者と飲んでいない者とを何年も続けて観察
✔ 腫瘍患者にそれを飲ませて観察

これらは、他の治療法を中断することになるため、簡単に出来ることではありません。
また、何度のお湯で煎じるのか、分量はどれくらい使うか、沸騰させるのかどうか、コップで何杯飲んだらいいのか、副作用はないか、どんな腫瘍に効き、どんな腫瘍には
あまり効かないか、などと出すべきデータは山積みです。

それをマースニレコフは一つ一つ研究して行きました。

そして遂に、『チャーガが癌転移を抑え、食欲を増進させる』という事実が明らかになったのです。

 

◆マースレニコフの研究により チャーガが癌転移を抑えるという事実はどのように広まったのか

その後も数々の実験を積み重ね、様々なチャーガの有用性を明らかにし、それらを論文にまとめました。

その論文を学術誌に載せると、その反響は大きく、1920年から1930年代にかけて、ソ連にチャーガブームが巻き起こったといいます。

そして、各地から飲用相談の手紙が寄せられ、また、チャーガを自分でも処方してみたいと
いう医師の相談にもマースレニコフ医師は丁寧に応じ、チャーガは少しずつ目立つ存在に
なっていきました。

しかし、チャーガがあまりにも大きな存在になり、それが長く続いたことから、ソ連行政機関からは一時的に圧力がかかります。

マースニレコフは研究や普及活動など、制限や
圧力をかけられることもありましたが、それにめげることなくマースニレコフは1956年にチャーガに関する特許を取得します。

そして、ようやくソビエト保健省から、チャーガが癌毒性低下剤として承認されることとなりました。

その後、モスクワ市内に70床のクリニックが提供され、マースニレコフはそこを拠点に研究活動を続け、1966年82歳で他界するまで、『チャーガ』の研究に努め励みました。

残念なことに、マースニレコフの書籍は日本ではほとんど見当たりません。

マースニレコフ記念館には、マースニレコフ博士の飲用指導を受けた人々からの、手紙や飲用の報告文書的内容寄せられ、膨大なカルテが保存されています。

その手紙を書いた人の一人に、ソルジェニーツィンがいました。

 

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ソルジェニーツィン

 

◆マースレニコフとソルジェニーツインの出会い

ロシアにチャーガブームが起きている中、ソルジェニーツィンという人が、マースレニコフ医師に自身のガンについての相談の手紙を出しました。
(マースニレコフ記念館には、ソルジェニーツインがマースニレコフ博士に送った直筆の礼状も保存されている。)

 

ソルジェニツィン自身の説明によれば、この作品は正確な時と所のデータをそなえたポリフォニック(多位性)な、主人公のいない長篇であり、「所」はウズベク共和国の首都タシケント市の総合病院のガン病棟(ソルジェニツィン自身が流刑生活中にこの病院で腫瘍を治療してもらった)。

 

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§ ソルジェニツィンはチャーガと出会いがんサバイバーになった

 

彼は政治犯として、南カザフスタンにて流刑生活を送っていました。

流刑生活中に彼は癌を患います。

死線を彷徨うほどのレベルにまでなりながら、ガン治療で有名なマースニレコフという医師の話を聞き、手紙を出して助けを求めました。

すると、タシケント市の総合病院で、マースニレコフがチャーガを服用させたところ、ソルジェニーツインの癌が治癒したのです。

それに深く感動したソルジェニーツインは、ある小説を執筆します。

小説の名前は『ガン病棟』。

その中には、マースニレコフ医師の研究や、チャーガの飲み方などがとても詳しく書かれています。

この小説を発表され、チャーガで癌が治る、ということを世界中の人に知らしめることとなりました。

小説では、マースニレコフ医師が詳しく描写されていますが、ただの小説ではなく、癌に苦しむ多くの人々へ贈る『癌克服マニュアル』あるいは『チャーガの飲み方の処方箋』としての役割、意味合いがあるようにも読み取れるのです。

このようにして、癌治療薬としてのチャーガを世界中に広めることとなったのが、ソルジェニーツイン著『ガン病棟』(1968~1969年執筆)。